ノーベル賞2021/10/13

今年のノーベル賞は予想通り、日本人受賞者が僅かおひとり。
正確には米国籍の日本人で米プリンストン大学出身の先生でした。
研究費が底をついているのが現実に(>_<)

才能ある研究家の先生でも中国の大学から招聘され行ってしまった話も(TT)

今から10数年前には京大・東大出身の先生方が受賞ラッシュに湧いていました!
ちょうど弟が社会人になって、受賞者の野依先生から受賞パーティーに招待を受けました。
とても光栄なことで弟を誇らしく思いました(*^^*)
パーティー招待に選ばれたのは、出身高校のOBでもあり、同じく京大出身、且つ理学部で1000人規模のお祝いだったそうです。
兵庫県ご出身の野依先生は引出物にキッチリ灘の酒を調達されていました。
父が生きていたら、とても喜んでいたでしょう。






弟は就職難の時代でも引くて数多の企業からラブコールを受けるほど、優良企業を選択できる幸運な人でした。
父は家業を元々、自分で終わらせるか、叔父に譲るつもりにしていました。
弟には苦労をさせたくないと、自分がやりたいことを好きなように生きていくようにと考えていました。
実際に父の事業は父独自で開発して特許クラスの製品も多く、私たちの生活になくてはならない必需品など、特殊で精密な作業が伴います。理系の弟には不向きだと父は考えていたと思います。

ほどなくして若くして昇進して社長室に入り、大舞台で活躍していました。
嘗てはロッテの会長の前で英語でプレゼンするなど、中核的な位置にいました。東京にいたころには弟の引っ越しや食事もお世話することもありましたが、弟の仕事に対する意気込みは本当に素晴らしかった。
ある日、父が病に倒れ、そのことを切っ掛けに華やかな舞台からサッと降りるかのように大阪へ。
姉としては長男だからとか気にしないで、父の考えもあったので、大阪に戻ることを反対しました。
もちろん頑固な弟は全く聞く耳を持ちませんでした。
敢えて荊の道を選ぶのか・・と。
弟曰く、父が遺した貴重な製品はもっと国内外に広めていかないと!
生前、父と反目していた弟でしたが、実は父のことを一番理解していたのだと思いました(*^^*)

父が他界し、跡を継いで何年経ったでしょう・・・
コロナのことが心配でしたが、幸いにも経営には支障もなく、健康と従業員社員のことを思い、休ませて手当はそれでも通常通りに支払っていたと義妹から。
コロナ前にはとても大変だったという話を事後報告で聞かされ、相談してくれたらと・・。なんだかんだと二人で解決して、頼もしく胸が熱くなりました。
日ごろから大変なことも乗り越えてきたからこそ、今のようなコロナでも慌てふためくこともなく、乗り越えてきたのだ思いました。

きっと天国の父はそんな弟にノーベル賞をおくりたいと思っていると思います笑
憎たらしいこともある弟ですが、純粋に誇らしいと思います。
弟を産んだ母にも何か賞をあげたいほど笑
その家の長男がどのような大人になるかは母親に掛かっていると昔から言われるそうですが、傍でずっと見てきたからこそその話に納得!
もちろん、父の存在も大きく影響していたでしょうが。

ちなみに弟はいつか大学に戻ってやりたい研究があると言っていました。
いつか実現してほしいと願うばかりです。

最近、忙しいのか中々音信不通になっていますが、姉の独り言になってしまいました笑
多分、junior2人お坊ちゃまの教育が本格化してまた忙しくなってきたと義妹がぼやいていました(>_<)

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